Vol.22 ローカルの幼稚園デビュー

ミャンマー、小学校前の教育事情

ミャンマーに来たばかりの頃は、首がすわったばかりだった息子も2歳になりました。
そろそろ集団生活にデビューさせたいなぁと思い、息子が通える学校について調べることにしました。

ミャンマーで2歳児の外国人が小学校前に通える学校というと、インターナショナルスクールに併設されたプレスクールが一般的のようです。日本人学校にも幼稚部がありますが、4歳からの受け入れとのことで、選択肢からは外れました。
しかし、フランス系のモンテッソーリ教育の幼稚園や、イギリスのイートン校が運営する幼稚園、日本人が運営する幼稚園、ミャンマー人が運営するインターナショナルスクールもあり、思った以上に通える学校は豊富な印象です。
ただし、前回のコラムでも書いたように、ヤンゴン市内は渋滞がひどいため、遠くにある幼稚園へ通い、毎日送り迎えするのは現実的ではないな、と感じました。

「どうしようかなぁ」と考えていたそんなある日、家のすぐ近くに幼稚園らしきものがあるのを発見してしまったのです。

突然の幼稚園デビュー

看板には、『English School 2歳~』と書いてありました。話を聞いてみると、息子でも入学できるとのこと。申し込みに必要な物は、申し込み用紙に写真を2枚添えて、入学金・教材費・制服代・はじめの月の月謝であること、そして持ち物は、お弁当・水筒・おやつ・歯ブラシと歯磨き粉・予備の着替えを1セット・オムツ・お昼寝のための小さな敷布団とブランケットだと教えてもらいました。

早速、写真屋さんに行って証明写真を撮ってもらい、申し込み用紙に記入をしました。
幼稚園側の準備もあるだろうし、まずは申込書を持って行って、来週くらいから通えれば良いかな、と思っていたのですが、事態は急展開を迎えました。
申込書を受け取った先生が「ちょうど明日から新しい月なので、明日から来てね!」と、おっしゃったのです。

私の方は心の準備も、必要なものの準備も出来ていなかったので、「まだお弁当箱もないし、敷布団もないし、来週から…」と言ってみたのですが、「お弁当箱なら、そこのスーパーに売ってるわよ!お昼寝用の敷布団は、厚手のブランケットでもいいのよ!明日からの方がいいわよ!」と言う先生の勢いに押されて、慌ててスーパーにお弁当箱を買いに行き、翌日から幼稚園に通うことになりました。

息子は、預ける時には大泣きしていましたが、なんとか先生にバトンタッチし、しっかり9時半〜15時の間、面倒をみてもらいました。
ミャンマーの幼稚園では、初めは少しの時間だけ預けて環境に慣れる、”慣らし保育”というものはなく、初日からフルタイムが普通のようです。
2歳児のクラスは、息子を入れて4人の生徒がいて、そこに2名の先生がつきっきりで世話してくれる事も分かり、少し安心しました。

外国人は、息子と生徒にタイ人が2人いるだけで、あとは先生も含めて全員ミャンマー人という一軒家を改装した、ローカルの名もなき幼稚園ですが、とにもかくにも幼稚園というものにデビューすることが出来たのです。

初めての幼稚園行事

入園の時に、「来週はUnionDayのイベントがあるので、子供達は自分の国の民族の衣装を着てきてね。あなたのところは、日本人だから、日本の衣装を着て、親は日本の料理を10人分作ってきてね。親も観に来るのよ。」ということを言われました。

『UnionDay』がなんなのかもよく分かっていなかったのですが、とにかく息子には和柄の甚平を着せ、日本料理10人分のリクエストに途方に暮れながらも、子供でも食べられそうなてまり寿司風のミニおにぎりをたくさん作って幼稚園に持参しました。
当日の会場には、カラフルな民族衣装を着た子供達が集まっていました。ミャンマーは多民族の国なので、その衣装の種類の豊富なこと、美しいこと、そしてそれを着た子供達の可愛いこと!

引率の親達も民族衣装を着て客席で見守る中、小さなステージの上では、子供達が色々な民族の音楽に合わせてダンスを披露しました。息子はデビューしたばかりで練習をしていなかったので、客席で親と一緒に鑑賞していました。
ダンスの後は、持ち寄った料理をブッフェ形式でみんなで食べ、解散となりました。ミャンマー料理の中で、おにぎりは珍しかったのか、一瞬でなくなっていてほっとしました。

後から、『UnionDay』についてきちんと調べてみると、ミャンマーの完全独立のため、Panglong協定を締結した記念日だそうです。日本語にすると『連邦の日』といったところでしょうか。1947年2月12日にこの協定が結ばれ、1948年1月4日に、ミャンマーはイギリスから完全な独立を達成しました。Panglong協定というのは、アウンサン将軍が民主的な政府にするための法律を定めたもので、その目的の1つは植民地時代に行われていた民族による差別をなくし、民族間の平等を促進することだったそうです。

色々な民族の衣装を着た子供達が、手をつないで仲良く踊っている光景と、この記念日の持つ意味を考えると、感慨深いものがあります。
これから先、子供達のつないだ手が、民族の違いによって離されるような出来事がないように、そして、将来は子供達がミャンマー国内の民族間を超えて、どの国の人とでも仲良くなれるように願いたいです。